RADWIMPS ピクニック 意味と解釈
こんばんは。
今回は、映画「トイレのピエタ」を見て、ピクニックの歌詞の意味の解釈を私なりに考えてみました。
ちなみに、この曲は野田さんが映画を見てから一気に作った曲だそうです。
なのでこの歌詞も、野田洋次郎としてでなく、映画の主人公の心情と目線で綴られている。というのが前提の上で書いていきます。
※原曲の歌詞はこちらを参考にしました。
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長くなりますが、よかったら参考までに。
「RADWIMPS_ピクニック」
最期の夏の 入り口に立っていたのは
ナイフを首から ぶら下げた 青い魂
人生最期の夏を迎えた時、青い魂という名の命(=僕)が、ナイフをぶら下げて夏の入り口に立っていた。(魂を擬人化していますね。主人公が突然余命宣告されたときの心情です。
大きな瞳で世界を睨む どこまでも澄んだ 碧
碧(青い魂)をもつ主人公の目が世界を睨んでいる。(物語の前半の世界に不満を持った主人公の偏屈な性格が伺えます。)
仲良しなどとはとても言えない この『毎日』に
あまりに突然にさよならを 切り出された
仲良しなどとはとても言えない、むしろギスギスした不愉快な日常を送っている主人公に、突然自分が死ぬということを、切り出された。
好きでもないのにフラれた僕を 君は横で笑う
好きな人生でもないのに急に人生にフラれたような僕を、君(=真衣)は横で笑う。
希望の類から一番 遠い場所で待ち合わせしたんだ
そして、そんな君とは、自分の希望とは一番遠い場所で巡り合った。(自分の希望とは遠い場所=もっと前に君に会っていたかった。という気持ちが読み取れます。)
誰にも踏まれてないままの まっさらな雪の上見たいな
誰にも汚されてないままのまっさらで純粋な雪みたいな君と(巡り合った)。
銀色のプールに 青い孤独がふたつ
銀色のプールの中に青い魂を持つ孤独な僕と君の魂がふたつ浮かんでいる。(銀色は月を象徴します。よって月の出ている夜にプールに浮かんでいた映画のワンシーンのことを指しています。)
重ねた唇の 終わり方も知らず
君は重ねた唇の終わり方も知らないのに僕にキスをした。
僕らは奇跡にも 及ばない光
それでもいいと今夜は 君を眺め想う
僕らは奇跡にも及ばない光(限りある命だからこそ感じられる光のような存在と運命的な出会い)だけど、そんなのどうでもいいと今夜は君のことを眺めながら好きだと想ったよ。
人生初心者 丸出しの 小さな戦士
舞い上がるスカートを翼にかえて 生きる今日も
人生初心者丸出しの小さな戦士のような君。舞い上がるスカートを翼にかえて今日も君は生きている。(純粋で勇敢で元気な、そんな彼女の様子が伺えます。)
たまに上手に生きられた日には 隠れて笑ってみた
たまに自分が上手に生きられた日には 隠れて笑ってみた(だんだん主人公の性格が彼女と出会ってから明るくなっているのがわかります。)
星を見上げて笑うことも ありがとう、ごめんねを使うことも
一度としてないままに僕ら 月にも内緒で 世界を抜け駆けた
ありがとうごめんねを言う普通のカップルのようなことは一度もないまま僕らは恋に落ちて、この人生を駆け抜けた。
飽きもせずに空は 今日も青いから
昨日も通り雨に 助けてもらったよ
ここで主人公を救う存在=真衣ということで、通り雨は真衣の比喩でしょう
「無様にもほどがある」誰かが遠くで言う
じゃあ誰に教わればいい? 初めて生まれたんだ
「生き方が無様にもほどがある」 と誰かが遠くで言うけど、じゃあ誰に教わればいい? 皆はじめて生まれたんだからなにが正解がわからなくて当たり前だ
宇宙のまばたきの間の 刹那に 恋をしたよ
宇宙のまばたきの間のような一瞬で僕は君に恋をしたよ
銀色のプールに 青い鼓動がふたつ
重ねた唇に そっと思い出したよ
銀色の月が出ているプールに 青い魂を持った僕と君の鼓動がふたつ浮かんでいる
重ねた唇に そっと思い出したよ(なにを思い出したかは次の歌詞で。)
あなたは僕がたしか生まれ落ちたあの日
この手からこぼれ落ちた この僕の片割れ
君はたしか、僕がこの世に生まれ落ちたあの日、この手(神の手or僕の手(僕の手だと手を繋いでいたというイメージ))からこぼれ落ちたこの僕の片割れ(一心同体といいますか、生まれた時から2人で1つだったような運命を感じたのでしょう)
はじめてしがみついた この世界の袖
比喩ですが、はじめて生きたいと思って生きることにしがみついたのですね
振り払われようとて 握りかえしたよ
世界に振り払われる=死ぬ とはわかっていても、死にそうでも強く生きたいと思った瞬間ですね
僕らは 奇跡にも 及ばない光
僕らは奇跡に及ばない光(さっきでてきたフレーズと一緒ですね。さっきのフレーズはその後に「それでも」と言っているのでポジティブな思考に転換しますが、2度目は「それでも」でなく「それなら」です。それでは続きを見てみましょう。)
それならいっそ僕ら
はい。
最後の歌詞の「それならいっそ僕ら」ですが続きがありません。
小説でも最後まで言わずに読者に想像させることがあるように、野田さんも聞き手に託したのでしょう。
でも、そんな終わり方嫌だ!モヤモヤしている方のために、
一応参考程度に私が想像した続きを書いておきますね^_^
今の僕らは奇跡にも及ばない光
それならいっそ僕ら一回死んでまた次の世界で一緒になろう
一回死んでというのは自殺とかじゃなくて、余命宣告された主人公は潔く死を待って、真衣も穏やかに時に任せて死を待つような亡くなり方です。
はい、ということで、これでピクニックの歌詞の意味・解説は以上になります。
まだ少しモヤモヤしている方も映画を見れば納得していただけるかと思います(^_^)
野田さんの歌詞は思考が独特な上にすべては語らないので、一回聴いただけじゃわかりませんよね。
でも、こうやって分析していくと、新しい発見があったり、曲作りの勉強にもなったりで楽しいのでぜひ皆さんもやってみてください(o^^o)*✲゚*
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